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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)7852号 判決 1989年9月25日

原告

美山綾子

右訴訟代理人弁護士

鈴木喜久子

淵上玲子

被告

東京毛皮貿易株式会社

右代表者代表取締役

柴田信雄

右訴訟代理人弁護士

木内茂

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金二九六万円及びこれに対する昭和六一年一〇月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  第一項につき仮執行の宣言。

二  被告

主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和六〇年七月、毛皮の輸入販売を業とする被告との間で、左記のとおりの雇用契約を締結した。

<1> 職種 長期派遣店員としての毛皮の販売。

なお、長期派遣店員とは、原則として、雇用主と取引のある特定の店舗(以下「派遣先」という。)内で、且つ、雇用主の販売する商品の置かれている常設の場所において、期限の定めなく、雇用主の商品を販売する目的で派遣される店員をいう。

<2> 期間 定めなし。

<3> 給与 日額一万二〇〇〇円、残業手当てあり。

<4> 勤務時間 派遣先の勤務時間による。

<5> 休日 派遣先の定休日による。有給休暇は一か月二日。

<6> 勤務場所 三越新宿店。

これは、同店が原告の自宅から比較的近く、病後である原告の通勤の便宜を考慮したものである。

<7> 健康保険 メリヤス健康保険組合に加入する。

<8> その他 厚生年金加入に加入する。

2  原告は、右雇用契約に基づき、昭和六〇年七月二〇日から、三越新宿店三階の毛皮サロンにおいて、被告の商品である毛皮の販売に従事した。

3  原告は、昭和六〇年一〇月一〇日、かつて罹患したことのある脳被殻出血の病気が再発し、その後、自宅療養のため、約四週間にわたって欠勤した。

4  原告は、昭和六〇年一一月には、人手不足を理由とする被告の懇請を受け、病気を押して小田急新宿店、三越池袋店などで一時的に勤務したことがあったが、昭和六〇年一二月下旬には完全に回復したことから、被告に対して雇用の条件である三越新宿店への復帰を申し出たところ、被告は、かつて原告が勤務したが販売方針等に問題があるために退社したことのある小田急新宿店で、しかも短期派遣店員としての勤務を指示したのみで、原告の催告にも拘わらず、三越新宿店における長期派遣店員としての勤務を指示しない。

5  原告は、被告の右債務不履行に対し、昭和六一年九月三日付けで雇用契約を解除する旨の意思表示をしたが、昭和六一年一月一日から右意思表示までの稼動可能日数二〇六日(一か月平均二五日として計算)のうち、被告に懇請されて就労した一月一七日の一日を除いた二〇五日間については、なお日額一万二〇〇〇円ずつ合計二四六万円の給与債権を有する。

6  被告は、前記のとおり、契約条件を勝手に短期派遣店員に変更しようとし、これを拒否した原告に対して、長期派遣店員としての勤務の機会を与えなかった上に、無断でメリヤス健康保険組合の保険を解約して原告の診療の機会を奪い、また、原告の同業界における勤務を妨害するような根拠のない噂を流し、更に、その従業員が勤務に関して協議をしている原告に対して「クビにする」との暴言を吐くなどした。

これらは、債務不履行若しくは不法行為に当たり、原告に多大な精神的苦痛を与えたが、これを慰謝する金員としては五〇万円を下らない。

7  よって、原告は被告に対し、未払給与二四六万円と慰謝料五〇万円を合わせた二九六万円及びこれらに対する履行期の後である昭和六一年一〇月七日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

二  請求の原因に対する認否及び主張

1  請求の原因1のうち、被告が毛皮の輸入販売を業とすること、原告と被告が、昭和六〇年七月、原告が派遣店員として毛皮の販売に従事し、被告が給与日額一万二〇〇〇円を支払うこと等を内容とする期間の定めのない雇用契約を締結したこと、派遣店員が被告と取引のある特定の店舗内で被告の商品である毛皮の販売に従事する者であること、原告がメリヤス健康保険組合及び厚生年金に加入したことは、いずれも認めるが、職種が長期派遣店員であること、右健康保険組合及び厚生年金への加入が雇用の条件となっていることは、いずれも否認する。

長期派遣店員として採用するかどうかは、派遣先のデパート等が販売能力、健康状態、過去の実績等を考慮して決定するもので、被告としては、単に長期派遣店員の見込者ないし見習者として雇用し得るにすぎず、原告もその例外ではない。長期派遣店員となるためには、派遣先に「長期派遣店員派遣願」を提出してその承認を得ることが必要であるが、原告については右派遣願が提出されていなかった。また、長期派遣店員の場合でも、売り場の業績その他の事情によって、一週間程度の不就労や他の販売コーナーでの勤務を指示することがあり、長期派遣店員であるからといって、一定の常設売り場で常時勤務する権利、したがって、被告に右勤務を指示する義務がある訳ではない。

2  同2は認める。

3  同3のうち、原告が三越新宿店での勤務をしなくなったことは認めるが、その時期は、昭和六〇年一〇月一二日からである。原告は、健康上の理由のほか、同僚との折り合いを欠いたことも一因となって、その希望により三越新宿店を辞めたのである。もっとも、その際、原告から、長期的な仕事は無理だが、新宿三越店以外の短期的な仕事があれば勤務したいとの希望があったため、被告は原告に対し、昭和六〇年一一月一八日から二〇日まで小田急新宿店、一一月二六日から二九日まで三越池袋店、一二月二六日から三〇日まで小田急新宿店で、それぞれ、短期派遣店員として勤務することを指示し、被告は、そのとおり勤務した。

右のことは、原告が、昭和六〇年一一月以降、長期派遣店員見込者ないし見習者としての雇用契約を放棄し、短期派遣店員としての雇用契約を選んだことを意味する。

4  同4のうち、原告が昭和六〇年一一月に被告の指示で小田急新宿店、三越池袋店などで勤務したことがあったこと、昭和六一年一月以降、被告が原告に対し、三越新宿店における長期派遣店員としての勤務をさせていないことは、いずれも認めるが、その余は否認する。被告は、昭和六〇年の暮れに、昭和六一年一月から二月一杯位まで小田急新宿店での勤務を指示したところ、原告が短期間の勤務を希望したので、同店における昭和六一年一月一七日から二二日までの勤務を指示して承諾を得たが、原告は、一月一七日の一日勤務したに止まった。

なお、原告は、昭和六一年一月三日から三月二三日までの間に、前後七回、合計二九日間にわたり、被告以外の他社の仕事をしている。

5  同5は、原告が、雇用契約を解除する旨の意思表示をしたこと、昭和六一年一月一七日に一日だけ勤務したことは、いずれも認める。しかし、原告が実際に勤務したのは、昭和六〇年七月は五日、八月は二二日、九月は二四日、一〇月は一一日、一一月は七日、一二月は五日、昭和六一年一月は一日のみであるから、稼動可能日数が一か月平均二五日とはならない。

6  同6のうち、被告がメリヤス健康保険組合の保険を解約したことは、認めるが、その余は争う。

7  同7は争う。

第三証拠関係(略)

理由

一  被告が毛皮の輸入販売を業とすること、原告と被告が、昭和六〇年七月、原告が派遣店員として毛皮の販売に従事し、被告が給与日額一万二〇〇〇円を支払うこと等を内容とする期間の定めのない雇用契約を締結したこと、ここに派遣店員とは、被告と取引のある特定の店舗内で被告の商品である毛皮の販売に従事する店員をいうこと、原告がメリヤス健康保険組合及び厚生年金に加入したこと、原告が同年七月二〇日から三越新宿店で勤務するようになったこと、以上の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  原告は、三越新宿店に勤務したことに関して、同店は原告の自宅から比較的近く、病後である原告の通勤の便宜を考慮したもので、同所に勤務することが雇用契約の条件であった旨の主張をする。

右主張は、本件の雇用契約では勤務の場所を新宿三越店に限定する趣旨の約定があったというにあると解されるが、しかし、雇用契約の中で特にその趣旨が明示され、三越新宿店以外の店舗では勤務の必要がないとする約定があったことは、本件の全証拠によっても認めることができない。のみならず、一般に、雇用契約は、労働者がその労働力の使用を包括的に使用者に委ねる合意であって、使用者は、この合意に基づいて勤務の場所を一方的に決定することができるもので、現に、証人高橋勝の証言によれば、被告は、新宿三越店の他にも、派遣先の店舗を八か所抱えており、派遣店員は、統合所属として雇用されるもので、各店舗での売上げ等に応じて一時的な不就労とか他の店舗への移動を命ずる場合もあること、また、証人松本淳の証言と原告本人尋問の結果によれば、原告自身、その後の経過の中では、被告の指示に対して何ら異議を述べることなく三越池袋店や小田急新宿店などで派遣店員として勤務し、更には三越本店での勤務を希望して被告の担当者と接触するなど、三越新宿店での勤務には拘泥しない態度に終始したことが、それぞれ、認められ、この認定に反する証拠はない。

右に見たところによれば、本件の雇用契約においては、その締結時に原告の主張するような事情があったとしても、勤務の場所を特に三越新宿店に限定し、右以外の場所では勤務の必要がないとする趣旨の約定があったということはできない。

三  原告が、昭和六〇年一〇月に三越新宿店での勤務をしなくなったことは、当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、原告が右勤務をしなくなったのは、同月一二日からであることが認められる。

(1)  原告は、勤務をしなくなった原因として、かつて罹患したことのある脳被殻出血の病気が再発し、自宅療養をしていたためであると主張する。そして、(証拠略)の診断書には、原告が、昭和五九年八月二一日から同年九月二九日までと昭和六〇年五月二五日から同年六月一九日まで、脳出血或いは一過性脳虚血発作のため入院したこと、昭和六〇年一〇月九日には頭部のCTスキャンを撮り、その後、昭和六一年一一月一七日まで定期的に通院した旨の記載があるから、原告が、昭和六〇年一〇月九日当時、医師の診察を要する病状にあり、引き続いて通院治療を受けていたことは、容易に認めることができる。

(2)  しかし、原告が勤務をしなくなったのは、右のとおり、昭和六〇年一〇月一二日からであって、右CTスキャンを撮った後も二日間は勤務をしていることが明らかである。また、原告の病気と勤務の関係を見ると、原告が勤務をしなくなった昭和六〇年一〇月及び同年一一月当時における勤務の能否を明らかにした証拠がない反面、(証拠略)の健康保険傷病手当金請求書には、担当医師の意見として、昭和六〇年一二月一日から同年一二月三一日までの三一日間を労務不能と認めた旨が記載されているところ、(証拠略)及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、右労務不能の期間に近接する昭和六〇年一一月一八日から二〇日までは小田急新宿店で、同年一一月二六日から二九日までは三越池袋店で、また、労務不能の期間と重複する同年一二月二六日から三〇日までは小田急新宿店で、いずれも、被告の指示を受けて派遣店員として勤務し、更に、同じく労務不能の期間と重複する同年一二月八日から一五日までは、四国へ出張して他社の派遣店員としての仕事をしていることが、それぞれ、認められる。

そして、原告が、これらの勤務ないし仕事を病気を押して無理に行ったとか又はその意思に反して強制されたものとは認められないから(原告本人尋問の結果中にも、まあまあの状態だったので気を付けて出たと述べた部分がある。)、原告の病状と勤務の能否との関係には、必ずしも明確でないところがある。

(三) 右事情に加えて、(証拠略)中に、当時、三越新宿店には、被告の派遣店員が原告の他に三名いたが、原告は、同店担当の被告従業員である松本淳に対して、他の派遣店員と合わない旨をこぼしており、体調が思わしくないこともあって、昭和六〇年一〇月七日には、「私を取るか、他の人を取るか」の選択を迫り、他の人を取るなら辞める旨の話をし、三越新宿店以外で短期的な仕事があれば就きたいとの希望を表明したと述べた部分があること、原告本人尋問の結果中に、三越新宿店で一緒に働いていた派遣店員の中に、小田急新宿店におけるのと同様、正札よりも高い別の値札を付けてもともと高価な商品であるかのような誤解を与える不公正な販売方法を取っている者がおり、チーフも関与していたので注意して止めさせたことがあったと述べ、また、内心的なものと断わってはいるが、三越新宿店で一緒に仕事をしていた他の派遣店員の性格や欠点について辛辣ともいえる評価をしていること、原告は、前記のとおり、昭和六〇年一一月から一二月にかけて、三越新宿店以外の店舗で短期間ずつ派遣店員としての仕事をしているが、その際、被告或いは担当者の松本に対して三越新宿店での勤務を求めたことはない旨を述べた部分があることの各証拠を総合すると、原告が昭和六〇年一〇月一二日から三越新宿店での勤務をしなくなったのは、病気が原因であることは否定できないとしても、それのみではなく、同僚との折合い不良という別の原因も加わったもので、しかも、自らの意思で同店における派遣店員としての勤務を辞退し、同時に、他の店舗における短期間の派遣店員を希望する旨を申し出たと認めるのが相当である。

原告本人尋問の結果によれば、原告は、三越新宿店での勤務を辞退した後も、同店から貸与された制服の返還を求められていないことが認められるが、被告との関係が確定的に消滅して返還の機会がなくなるというものではないし、右は単なる事後処理の問題に止まるから、右認定の妨げとはならない。また、右本人尋問の結果中、右認定に反する部分は採用しない。

(4)  ところで、原告が三越新宿店における勤務を辞退したことに関して、被告は、長期派遣店員見込者ないし見習者としての雇用契約を放棄し、短期派遣店員としての雇用契約を選んだものであるとして、右時点で別個の雇用契約が締結されたかのように主張する。しかし、当初から見込者ないし見習者として雇用されたかどうかはともかく、本件の雇用契約に期間の定めがないことは前述のとおりであって、勤務の場所やそこでの勤務の期間が変わったからといって、雇用契約そのものが別個のものとなる理由は見出し難いから(雇用契約の一部変更と見れば足りる。)、被告はなお、期間の定めのない雇用契約に基づき、原告に対し、その申し出があった以上は長期間である必要はないとしても、他の派遣先を指定して勤務させる義務があることになる。

四  (証拠略)によれば、原告が昭和六〇年一二月二六日から小田急新宿店で勤務した際、被告の担当者である松本が、昭和六一年一月四日から二月一杯位までの小田急新宿店における勤務を指示したところ、原告がこれを拒否したこと、しかし、昭和六一年一月になってから再度、一月一七日から一九日までの三日間の同店での勤務を指示したところ、原告は、一旦はこれを承諾したが、実際には一月一七日の一日勤務しただけで、その余の二日間は、松本の留守宅に電話連絡をしたのみで欠勤したこと、そのため、派遣店員の確保ができず、被告が派遣先から抗議を受ける事態が生じたことが、それぞれ、認められる。

(1)  この点に関し、原告本人尋問の結果中には、小田急新宿店には、商品の正札を付け替えるなどして不公正な販売方法をとったり、盗難事故の度ごとに氏名の出る被告の派遣店員がいるため一緒に仕事をするのが嫌で断わったものであり、また、昭和六一年一月一七日からの勤務については、松本から立ち上がりに必要な初日だけでよいとの了解を得ていたと述べた部分がある。

しかし、右供述にいう不公正な販売方法については、他に裏付けとなる具体的な証拠がないので、直ちには措信することができないし、仮に、そのような販売方法が実際にあったとしても、原告本人尋問の結果によれば、三越新宿店でも、同じような販売方法がチーフまで関与して行われていたため、注意して止めさせたことがあったというもので、小田急新宿店においても、同様に注意して止めさせるのに支障があったことは認められない。また、盗難事故の度ごとに氏名の出る被告の派遣店員と犯人との結び付きについても、具体的な証拠はないし、そもそも、盗難事故の度ごとに氏名の出る、したがって、そのような噂のある派遣店員が一般に信用を重んずるデパートで勤務を続けているとは、直ちには信じ難いところである。したがって、原告が供述する事情は、小田急新宿店における勤務を拒否する理由とはなり得ない。

かえって、(証拠略)及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、松本から小田急新宿店における勤務の指示を受けるよりも前に、友人を通して三越本店における勤務の可能性を聞知し、昭和六〇年一二月初めに、同店担当の被告の別の従業員と接触していること、被告からの勤務の指示と重複する昭和六一年一月三日から八日までの間、別の店舗で他社の派遣店員として勤務しているが、その時期からして、具体的な話は既に昭和六〇年一二月中から進んでいたと見られることが、それぞれ、認められたのであって、右事実によれば、原告が小田急新宿店での勤務を拒否したのは、既に他社の仕事を引受けていたことや三越本店での勤務に期待したためと認めるのが相当である。

この点について、原告本人尋問の結果中には、原告が、昭和六〇年一二月に入って、被告の担当者である松本に対し、三越本店に行く旨を話したところ、松本は、「クビにする」といって怒り、その後の連絡をしなくなったので、止むを得ず正月から他社で派遣店員としての仕事をするようになった旨を述べた部分があるが、原告は、昭和六〇年一二月二六日から三〇日まで被告の指示を受けて小田急新宿店で勤務し、更に、同月中に、昭和六一年一月からの勤務の指示を受けていること、前述のとおりであるから、松本がその後の連絡をしなくなったというのは事実に反する。

したがって、原告が、昭和六一年一月四日から二月一杯位までの勤務を拒否したことに正当な理由があるとはいえない。

(2)  また、昭和六一年一月一七日からの勤務については、松本から立ち上がりに必要な初日だけでよいとの了解を得ていたとの部分は、(証拠略)と対比して信用することができず、かえって、(証拠略)と原告本人尋問の結果によれば、原告は、被告の指示で一旦は勤務を承諾した期間と重複する昭和六一年一月一八日及び同月一九日の両日には、別の店舗で他社の派遣店員としての仕事をしており、小田急新宿店を欠勤したのはこのためであることが認められるから、結局、原告は、被告の指示を受けて約した雇用契約上の義務に違反したことになる。

なお、(証拠略)には、小田急新宿店での勤務を二日間欠いたことに関して、原告も過去に被害に遭ったことのある現金盗難事件が小田急新宿店でも引き続いて発生していることを聞かされ、或いは、被告の担当者である松本から不公正な販売方法を是認するような意見を聞かされて、強い精神的ショックを受け、ストレスで頭痛が治まらなかったためである旨を記載した部分があるが、原告が盗難事故のことや不公正な販売方法を是認するような意見を聞かされた時期が全く明らかでない上、既に見たとおり、客観的な事実と相容れないもので、採用の限りでない。

五  そして、(証拠略)及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和六一年一月三日から八日、一月一八、一九日、一月二三日から二八日、一月三〇日から二月四日、二月七日から一二日、三月二一日から二三日まで、それぞれ、別の店舗で他社の派遣店員としての仕事をしていることが認められるから、原告は、自らの意思で三越新宿店における派遣店員としての勤務を辞退した後は、被告からは短期間の派遣店員の仕事を数回受けたのみで、その余は、専ら、別の店舗で他社の派遣店員としての仕事をするに至ったことになる。

次に、(証拠略)によれば、昭和六一年一月二九日、被告の担当者である松本が、偶然に原告と三越新宿店で会い、喫茶店で話をしたところ、原告は、「一月一八日からの仕事を休んだのはノイローゼのためで、迷惑をかけたから、これ以上、被告から仕事を受ける訳にはいかない。」旨を述べ、被告との関係では、三越新宿店だけでなく他の店舗での仕事もする意思のない態度を示したこと、そこで、松本が「仕事をする意思がないなら健康保険証を返還されたい。」旨を述べたところ、原告は、これを承諾して保険証の返還を約束したこと、これを受けて、被告は、同年二月一日付けで、保険資格の喪失手続きをとったことが、それぞれ、認められる。この点につき、原告は、本人尋問において、一月二九日に松本と会ったこと自体を否定するが、右各証拠と対比して採用できない。

六  (証拠略)によれば、その後、原告と被告との間では、解雇した上で保険資格の喪失手続きをとったとする原告からの異議申立とこれに対する被告の回答があり、更に、原告の申立を受けた労働基準監督署の指導による話合いが行われ、その結果、被告としては、自らは雇用契約を解除した事実はないので原告がその意思にさえなれば引き続いて勤務させてもよいとして、今後の仕事のスケジュール予定の通知をしたが、原告からは何らの連絡もなく経過したことが認められ、原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は採用しない。

七  以上によれば、原告は、自らの意思で三越新宿店における派遣店員としての勤務を辞退した後は、原告の希望を入れた被告の指示に従い、数回にわたり短期間ずつ派遣店員の仕事をしたものの、その後の指示に基づく勤務を正当な理由がなくして拒否し、あまつさえ、一旦は承諾した勤務も途中で放棄したもので、原告の方に義務違反があるは格別、被告には雇用契約に基づく債務不履行はないと解するのが相当である。

次に、不法行為の成否について見るに、被告が勝手に契約条件を変更しようとしたといえないことは、前述したところから明らかであるし、健康保険の資格喪失手続きをとったのは、原告が被告の従業員としての仕事をしなくなって、原告の負担すべき保険料の支払も不可能になった以上は止むを得ない措置であり、しかも、原告の承諾を得たものであることは、前述のとおりであるから、この点について違法はない。また、被告が原告の同業界における勤務を妨害したとか、被告の従業員が原告に対して「クビにする」との暴言を吐いたとの点については、原告本人尋問の結果中に符合する部分もないではないが、証人高橋勝、同松本淳の各証言と対比して採用することができず、他に、これを裏付けるべき証拠はない。

八  よって、原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 太田豊)

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